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みなさま、こんにちは。
現在北陸には歴史的な寒波が押し寄せ、人々の生活にも支障が出ております。魚たちも被害を受けています。なんと海の中で凍ってしまい、そのまま岸に流れ着くという現象が起きています。
建国記念を挟む連休を過ぎたら少し暖かくなるようですが、まだまだ油断せずにお過ごしください。
ということで、全国的な時化によりお魚の紹介が出来ないので、今回は私も興味のあった築地市場の歴史について調べてみました!!
<日本橋魚河岸(にほんばしうおがし)の誕生>
なぜ日本橋? それは江戸城に徳川家康が住んでいた、江戸時代までさかのぼります。城内では大勢の人々が徳川家に仕えていました。その人々の台所事情の為、家康は大坂の佃村から漁師を呼び寄せ、東京湾での漁を許可し、魚介類を納めさせていました。
(余談:佃村の人々が住んだところが現在の月島駅近くの中央区佃です)
一方で漁師たちは残ってしまった魚介類を、船を泊めていた日本橋のたもとで売るようになったのです。これが日本橋魚河岸の始まりでした。日本橋魚河岸は、段々と大きくなり様々なものが揃う”市(いち)”となってゆきます。
<関東大震災発生>
その後、東京市が大きくなった日本橋魚河岸を市場法にもとづいて中央卸売市場にする計画を進めていきます。が、その矢先。
1923年9月 関東大震災発生
東京を直撃、日本橋周辺も壊滅状態となります。このことで長い歴史を誇った日本橋魚河岸はその幕を閉じました。その時人々は商いよりも自分たちの生活の為に奔走します。そういう状況だからこそ、様々なものが揃う”市(いち)”と復活させようと動いた人々もいました。
<東京市設魚市場(とうきょうしせつうおいちば)>
1923年12月関東大震災から3か月後です。旧外国人居留地の一角を海軍省から借りて東京市設魚市場が開設されました。この場所こそ、現在築地市場がある中央区築地でした。
暫定で開設された場所でしたが、旧汐留駅から引き込み線を通したり、隅田川岸壁の桟橋から船で荷捌きしたりと、迅速に取引が行われるよう扇形の市場となり、そのまま定着しました。
<ついに開設 東京都中央卸売市場 築地市場(つきじいちば)>
そしてついに、公設市場として1935年 東京都中央卸売市場 築地市場が開設となります。
それから83年余り。現在では年間60万トンもの品物が取引される世界一の市場となりました。そして世界的な日本食人気により輸出額が増え、築地ブランドなる言葉も出来ました。
最後に、メディアなどでよく築地”しじょう”と言われておりますが、正しくは築地”いちば”となります。これまでご紹介した通り、”市(いち)”から始まったからでしょうか。
今年豊洲市場へ移転が決定したことを良いきっかけとして、改めて築地市場の歴史を調べてみましたが、築地市場の原型である日本橋魚河岸が徳川家康考案だということを知り、歴史はつながっていると感じました。もちろん、歴史あっての現在だということはみな様よく御存じだと思いますが、改めて自分の周りのことを調べてみるのも面白いかもしれません。
大変長い回となってしまいましたが、最後までお読み頂きありがとうございました。